美しき講堂
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昭和24年11月3日、記念祭(大学祭)の時に、卒業した陸上競技部の
先輩を囲んで部室の前で撮った1枚です。
陸上競技部の諸先輩には論客が多く、部室のテーブルを囲んでの
硬軟からめた談論風発には随分と刺激を受け、また啓蒙もされました。
その自由で和やかな素晴らしい雰囲気は、戦争末期の士官学校
在学中は勿論のこと、卒業後も味わい得たことはありません。
それは正に我が心のアルト・ハイデルベルヒで
「今し帰らずそのあとを求めて今は嘆くのみ」という程ではありませんが、
「黄金の日よ、珠の日よ」の感傷に相似たものがあり、私にとって部室とは、
グラウンドよりも心に残る思い出のひとときがある、懐かしいところです。
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前回の写真と年月が前後しますが、これは私が専門部に通っていました、
昭和22年の陸上競技部の写真です。
専門部3年生になってから、私が陸上競技部に入部することになった経緯を
ここに記しておきたいと思います。
当時の私は「ホルモンタンク(現代でいう「涙袋」の意ではありません)」という
あだ名をつけられており、野球部をはじめ、各運動部からいろいろと
勧誘を受けておりました。そんな、春は4月下旬のことでした。
ある日、陸上競技部員の級友に誘われて、大学構内にあるグラウンドで
戯れに槍を数回投げましたところ、何れも本職の方を軽くオーバーする
記録が出てしまいました。
それを見た当時の陸上部のキャプテンやマネージャーが走り寄ってきて、
「5月に神宮で関東インターカレッジがあるので是非入部してほしい」
との要請があったのです。
「土日しか練習に出れませんが」と申したところ、それでもよい、
ということでしたので、陸上競技部に入部することになったのです。
ところが、私は陸上競技で使うスパイク、ランニングシャツやパンツなどを
全く持っていませんでした。
結局、5月14日の試合当日、スパイクとシャツは陸上競技部長から借用し、
パンツは日常の猿股を履いて出場しました。
しかし、スパイクが小さくて足に合わないので、助走はピョコタン、ピョコタン。
投げる格好は自己流の八方破れ。
宙を飛ぶ槍(木)はびょんびょんとしなりどおし、綺麗な放物線を描かないのが
ど素人の悲しさで、私が槍を投げるとスタンドからクスクスと失笑が
もれる程でした。
それでも結果は2部出場校のうち、槍投げで1位となり、ハンマー投げ、
円盤投げでも入賞を果たせ、部も1部に昇格できましたので、
少しはお役に立てたようです。
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新年 明けましておめでとうございます。
皆様、ご健康にお過ごしになられますよう、心よりお祈り申し上げます。
さて、娘てんみんが、「渋谷駅のハチ公像の前に昔の東急東横線の緑の車両が
あったよ~」などと言っております。
懐かしい緑色の車両の中には大正時代から現在に至るまでの渋谷駅の写真が
展示してあるそうですね。
ご在京の皆様、もし渋谷にお出かけのことがございましたら、
電車と共に発展してきた渋谷の歴史を垣間見られてはいかがでしょうか。
しばらくブログの更新が滞っておりましたが、ようやく私の写真のスキャナー係が
帰ってきましたので、今月から順次更新してゆきたいと思います。
昨年に引き続き、若い方々にも興味を持っていただけたら幸いです。
本日は、新年のご挨拶まで。
てんみんパパ
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