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2006年10月 1日 (日)

終戦

本日も写真はありませんが、戦争のお話を少しいたします。

私は昭和20年8月15日の玉音放送(ぎょくおんほうそう)を群馬県沢渡(さわたり)にある
澤田小学校の校庭で聞きました。

空襲ばかりの朝霞では訓練ができないことから、8月上旬、士官学校ごと群馬県に
長期野営演習に出ていたのです。
中之条演習隊として、第1中隊-沢渡、第2中隊-中之条、第3中隊-原町に
拠点を置き、浅間演習隊として第4~6中隊が新鹿沢に拠点を置きました。

正式名称は「長期野営演習」と言いましても、実質は軍の将校生徒を守るための
疎開だと思っていました。しかし、戦後、明らかになった情報から考えてみますと、
それは「疎開」ではなかったのです。
軍部は本土決戦に備えて、天皇御座所、大本営、政府機関を長野(松代)に移す
計画を進めており、士官学校の疎開もその守備の一環であったのです。

玉音放送を聞いて、私は「これで死ななくてすむ。助かった。」とホッとしました。
周囲は涙をボロボロこぼしている人が大半だったのですが、私には安堵の気持ちが
先に訪れました。
文官教官から沖縄戦のこと、広島に新型爆弾が落とされたこと、ソ連が参戦したこと
などを聞いていましたので、本土決戦になったら死ぬのだな、と思っていたのです。

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