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2006年10月 4日 (水)

終戦直後

本日も文章だけですが、これまでの話の流れとして読んでいただけましたら幸いです。

終戦後、9月に入って復員列車に乗り、渋谷駅で降りました。
東京は見渡す限りの焼け野原で、目印となる建物が焼失しておりましたから、
自分の家の位置がわからず、道を行ったり来たりしていますと、
防空壕から出てきた姉とばったり会うことができ、ようやく家族と再会できました。

渋谷の自宅は昭和20年3月に強制撤去になっていて、両親、姉や妹は近所の
知人宅の車庫で暮らしていました。
強制撤去の理由は、自宅が玉電の線路と川との間にあったことから、空襲での延焼を
防ぐための防火帯となったからです。
私の家族は、その防火帯にある元太田眼科の頑丈な地下倉庫を防空壕としていた
ので、無事に生き延びることができたようです。
太田眼科の先生は残念ながら満州で戦死してしまいました。

渋谷に帰ってからはバラックに住み、焼け野原を耕して野菜を作り、ドラム缶風呂に
入りました。家は焼けても、あちこちに水道の鉛管だけは焼け残っており、水が出る
のが幸いでした。ただ、電灯の明かりが極めて薄暗いので、夜間の読書には
一苦労したものです。

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